第4回:「日本型ソーシャル・ビジネスの創出を」
多摩大学大学院・社会起業家フォーラム 田坂広志
いま、「ソーシャル・ビジネス」(Social Business)という言葉が、世界中で
静かなブームとなっています。これは、「社会的課題の解決に取り組むビジネス」や
「社会貢献を目的としたビジネス」という意味の言葉であり、「営利追求を目的とした
ビジネス」に対する反意的な言葉として使われています。
しかし、実は、この日本という国においては、この「ソーシャル・ビジネス」という
言葉を聞くと、多くの人々は、ある違和感を覚えるのではないでしょうか。
なぜなら、多くの日本人は、ビジネスというものを、「社会的課題の解決や社会貢献
を目的としたビジネス」と「営利追求を目的としたビジネス」という二項対立的な分類で
捉えていないからです。
そのことを象徴するのが、かつてこの国の多くの職場で誰もが自然に語ってきた
「世のため、人のため」という言葉であり、「志と使命感を持って働く」といった言葉でしょう。
すなわち、この日本という国においては、昔から、「ビジネス」とは、単なる「金儲け」(営利追求)
のためにあるのではなく、「世のため、人のため」(社会貢献)に営むものだったからです。
それゆえ、海外から、この「ソーシャル・ビジネス」という言葉が入ってきて「営利追求のビジネス」と
「社会貢献のビジネス」という二項対立的な説明をされると、一つの素朴な疑問が心に浮かんでくる
のでしょう。
そもそも「ビジネス」とは、「社会貢献」や「社会的課題の解決」のためであり、本来、
「ソーシャル」なものではなかったのか?
その疑問です。
それは、あたかも、「白い白鳥」という言葉を聞かされたときに覚える違和感に似ています。
「白鳥」とは、そもそも「白い」ものではないのか。
それにもかかわらず、なぜ、敢えて「白い白鳥」という言葉が必要なのか?
多くの人々が覚えるのは、その違和感なのでしょう。
では、なぜ、この「ソーシャル・ビジネス」という言葉が使われるようになったのか。
それは、「白鳥」が、自分が「白い」ことを忘れたからなのでしょう。
「ビジネス」というものが、本来、「社会貢献」や「社会的課題の解決」のためのものであることを
忘れてしまったからなのでしょう。
では、なぜ、それを忘れてしまったのか。
資本主義が「病」に陥ったからです。
そのことを象徴するのが、アメリカ型資本主義の中で語られる「経営者の役割」論です。いわく、
「企業経営者(CEO)の役割は、株主を代表して、企業の利益を最大化させることである」との議論。
これまで、世界中で「常識」と思われてきたこの考えこそが、エンロンやワールドコムの企業不祥事を
引き起こし、サブプライム問題に端を発する世界経済危機を引き起こしたのではないか。
それゆえ、近年、「企業の社会的責任」(CSR : Corporate Social Responsibility)の
世界的潮流が生まれ、「営利企業」の経営者も社会的責任や社会貢献を重視しなければならない、
との警鐘が発されるようになったのでしょう。
そして、実は、この「資本主義の病」は、決して「営利企業」(Profit Company)の側だけに
生まれているわけではありません。それは、「非営利組織」(NPO : Non Profit Organization)も、
無意識に罹っている病なのです。
それは、実は、この「NPO」という言葉に象徴されています。
「営利追求をしない組織」。それは、果たして適切な言葉なのでしょうか。「営利追求」を
主な価値軸として、そこから外れた組織を「非営利組織」と否定表現で呼ぶ組織観。
それは、実は、「病」に陥った資本主義の価値観に染まった表現ではないのでしょうか。
もし、この組織を、誇りを持って正しく表現するならば、むしろ「SCO : Social Contribution Organization」と呼ぶべきではないのでしょうか。
実は、いま、世界中の多くの人々が、「ソーシャル・ビジネス」という言葉や、「社会貢献」や
「社会的課題の解決」という言葉に惹かれるのは、この「資本主義の病」に対する、無意識の抗議(protest)なのでしょう。
では、この世界的潮流の中で、我々日本人は、何を為すべきなのでしょうか。
「日本型資本主義」の原点へと、回帰すべきでしょう。
先ほど述べたように、この日本という国には、深みある「労働観」「経営思想」
「資本主義」がありました。
例えば、日本人の「労働観」には、本来、「社会貢献」の思想が深く宿されていました。
かつて、この国の多くの職場で、「働く」(はたらく)とは、「傍」(はた)を「楽」(らく)にすることである、
と語られてきたように、日本人にとって、労働とは、厭うべき「苦役」でもなければ、単なる「金を稼ぐ手段」でもありませんでした。
また、かつての「日本型経営」においては、次の三つの言葉が語り継がれてきました。
「企業は、本業を通じて社会に貢献をする」
「利益とは、社会に貢献したことの証である」
「企業が多くの利益を得たということは、
その利益を使って、さらなる社会貢献をせよとの、世の声である」
この三つの言葉は、「日本型資本主義」が世界に誇るべき言葉でしょう。
なぜなら、これらの言葉は、「営利追求」と「社会貢献」の「矛盾」の中で悩む、
欧米の資本主義の「二項対立的発想」に、一つの明確な答えを示しているからです。
「日本型資本主義」においては、本来、「営利追求」と「社会貢献」の対立は有りませんでした。
そもそも、企業の究極の目的は「社会貢献」であり、「利益」とは、
その社会貢献を実現するための「手段」でした。
そして、「利益」とは、その社会貢献の度合いを測る「指標」でした。
そのことを理解するならば、いま、「ソーシャル・ビジネス」の世界的な潮流の中で、
我々日本人が為すべきは、「欧米の先進的な動きを学び、追いつく」ことではありません。
我々が為すべきは、「日本という国の原点に回帰する」ことに他ならないのです。
このように、日本という国においては、そもそも、すべてのビジネスが「ソーシャル・ビジネス」なのです。
そして、そのことを理解したとき、いま、この国で生まれてくる「ソーシャル・ビジネス」の動きに、
世界が学ぶべき深みある思想が宿っていることに気がつきます。
そして、それは、端的に言えば、現在の世界の資本主義社会の在り方を
根本から変えていく動きに他ならないのです。
欧米の資本主義社会に深く根を下ろしている「営利追求」と「社会貢献」の二項対立的な発想。
それに対して、政府や自治体、学校や病院、公的機関やNPOだけでなく、
「営利企業」も含めたすべての組織が志と使命感を抱き、それぞれの立場で
「社会的課題」の解決に取り組み、「社会貢献」を実現していくというビジョン。
そして、この国で働くすべての人々が、「世のため、人のため」との精神を抱き、
日々の仕事を通じて社会に貢献し、その営みを通じて、深い「働き甲斐」(傍を楽にすることの喜び)と
「生き甲斐」を感じ、かけがえのない人生を輝いて生きていくというビジョン。
それこそが、日本における「ソーシャル・ビジネス」が真にめざしているものであり、
営利追求と社会貢献を統合した「日本型ソーシャル・ビジネス」が、この21世紀において切り拓いていく素晴らしい世界なのでしょう。
私が、この「ソーシャルビジネスエコシステム創出プロジェクト」に期待するものは、
そのことに他なりません。
このプロジェクトの素晴らしい成功を、心より祈っています。