インサイド・レポート

ETIC.には、なぜ起業家と、元気な若者が集まっているのか?(上)

この15年、ETIC.の周辺から、多くの若い起業家、社会起業家が生まれ、
彼らを応援するために、多くの先輩起業家、経営者、ビジネスパーソンらが集まり続けている。
それはなぜだろうか?ここでは、ETIC.のインターンシップ事業の中から、その理由を探ってみたい。

(筆者:井上有紀(慶應義塾大学SFC研究所ビジティング・シニア・フェロー))

日本で初めて「インターンシップ」を事業化したのが、
ETIC.だということをご存知だろうか。

現在ETIC.の事業は、さまざまな社会起業家の育成プログラムに発展してきているが、
その根幹には、創業期から続く、インターンシップ事業がある。

(インターンシップ事業開始から、14年間で参加学生数は2400名、
事業参加企業数は、800社となり、インターン卒業生の中から少なくとも150人が起業している)


■若者に、自ら事業を作る「起業」という選択肢を

ETIC.の創業期。
1980年代末バブル崩壊の後、第1次就職氷河期と言われた1993年。

大学生2年生だった宮城治男(現・ETIC.代表)は、大学生活の中ではいきいきと
その才能を発揮していた学生たちが、就職活動が始まった途端に目の輝きを失っていく姿を
目の当たりにする。

私たちの世代は何をめざして生きていくべきなのか、
次世代にとっての生き方のモデルが必要だ、と強い問題意識を抱いたことに始まる。

そんな折、宮城の仲間の一人が、当時全く知られていない「ベンチャーキャピタル」に就職した。
興味を持った宮城も、その周辺に集まる起業家やその卵たちと出会い、
彼らの生き方に、大きな発見をすることになる。

実は、就職という選択をせずとも、
自分の手で事業をつくり、生きていく「起業家」という生き方がある。
宮城自身がその生き方に強く惹かれていった。

「起業」という選択肢を、多くの学生達に伝えてゆきたいと強く感じた宮城は、
仲間2人とETIC.の前身となる「学生アントレプレナー連絡会議」を立ち上げた。

独自の企画で活動していたり、起業しようとしている大学生を発掘し、
彼らとともに、先輩起業家や起業家精神に溢れた経営者を招いて勉強会を始めた。
その学生メンバーの中には、野坂英吾氏(現・株式会社トレジャー・ファクトリー代表取締役)、
早川世治氏(現・ミレー株式会社代表)、高島宏平氏(現オイシックス株式会社代表取締役)、
鈴木敦子(現ETIC.事務局長)らがいたという。

起業しようとする学生たちがいることは、当時話題になりやすく、
マスコミにも数多く取り上げられた。すると、さらに多くの起業家や支援者に出会う機会を得て、
ネットワークは大きく拡がっていった。

年間100回に及ぶセミナーを実施し、
1994年には「ETIC.(Entrepreneurial Training for Innovative Communities)
学生アントレプレナー連絡会議」と改称し、現在のETIC.の母体が出来上がった。

若者が頑張ろうとしていることが、こんなにも注目され、応援される。
この発見と期待、そして、この「てこ」を使えば、
まだもっと多くの人に伝えていけるかもしれないという思いが膨らんだ。

大学卒業して2年後、まだNPO法が存在しない頃、
任意団体としてETIC.を創業することになった。

「若者の起業を増やしたい」という宮城の思いに賛同する、日本全国で起業したい若者、
また、その思いを支援したいと考える経営者や地域の有志たちと、
ゆるやかなネットワークを構築していった。


■起業を見据えて、ベンチャーで経験を積む、日本で初めてのインターンシップ

1996年、当時大学卒業直前だった、山内幸治(現ETIC.統括ディレクター)が、
宮城に会いにきた。当時山内は、学生団体アイセック(2001年NPO法人化)で、
海外インターンシップの企画運営をしていた。

「インターンシップが、社会を変える大きな力になるのではないか」
と宮城にアイディアを持ちかけた。

ベンチャーに就職する、という選択肢を持っている若者は当時少なかった。
しかし世の中に必要なイノベーションは、ベンチャーで生まれる。
ベンチャーほど、優秀な若い人材が必要な場所はない。

インターンシップが、優秀な人材を、
ベンチャーに流動させる新たな道具となるのではないか。

もしかするとインターンシップなら、
知られていない創業直後のベンチャーに飛び込むというチャレンジのハードルを下げ、
優秀な学生がベンチャーに出入りする流れを作れるかもしれない。

山内から相談された宮城も、若者が社会の現場に出て、
実体験を通じて成長する機会が必要だと考えていた。

ETIC.創業から2年ほど経ち、ETIC.に出入りする若者たちは、
勉強会で出会った起業家に触発されて起業したり、
起業家と意気投合し、一緒に新規事業を立ち上げるなど、様々なコラボレーションが
自然と生まれていた。

しかしその中には、大きな夢を描く力はあっても、実現するための能力や経験が足りず、
失敗したり、頓挫することも多々あった。実務能力を高める機会を作る必要があった。

一方、当時「インターンシップ」とは、医学部が病院で研修をしたり、
企業が行う短期の実験的雇用としてのインターンシップを指すのが一般的だった。

若者が近い将来、新しい事業を起こすことを見据えて、
その原動力と推進力を高めるために、ベンチャーで経験を積む。

これまでの定義を変えるような、新しいインターンシップを日本に作りたい。

宮城と山内が意気投合し、さらに、当時アメリカのインターンシップについて
研究をしていた佐藤真久(現・東京都市大学環境情報学部准教授)が加わった。

そして1997年、長期実践型インターンシップ事業
「アントレプレナー・インターンシッププログラム(略称:EIP)」を、事業化する。
「アントレプレナー・インターンシップ・プログラム」という名前は、
孫泰蔵氏(現・MOVIDA JAPAN Inc. 代表取締役CEO)が名付け親だ。

アントレプレナー・スピリットを内包したインターンシップが、
ここから本格的に始まった。

(つづく)

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『ETIC.には、なぜ起業家と、元気な若者が集まっているのか?(中)』

『ETIC.には、なぜ起業家と、元気な若者が集まっているのか?(下)』



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